ドラマ「セクシー田中さん」の制作をめぐるトラブルは、原作者の芦原妃名子先生が亡くなるという悲しい結果を招いてしまいました。
この問題を受け、日本シナリオ作家協会のYou Tubeチャンネル「脚本家たちの深夜密談」では、2024年1月29日の夜に対談(討論会)を配信。
しかしその動画の内容が批判を浴びたため、削除されてしまいました。
これにはゲストとして参加された脚本家の伴一彦さんも異論を唱えています。
この記事では、その動画を紹介。
1時間を超える長い動画ですので、全て視聴した上でポイントをまとめました。
要点は、ほぼ書き起こしとなっています。
視聴して感じたことは、これは削除しないほうが良かったのではないか?ということです。
長いですが、目次から気になるところに飛ぶこともできますので、ご覧ください。
シナリオ作家協会の動画
動画の紹介です。
- 日本シナリオ作家協会You Tubeチャンネル「脚本家たちの深夜密談」
- 「緊急対談:原作者と脚本家はどう共存できるのか編」
- 2024年1月29日 22時~配信
- 参加者:黒沢久子(ホスト)
伴一彦(ゲスト)
kizaki(女性脚本家)
ざの(男性脚本家)
原作者の自殺というまさかの、そして最悪の事態になってしまいました。
— 伴一彦@「あなたも人を殺すわよ」(光文社文庫) (@sacaban) January 30, 2024
作協YouTubeで話しました。言葉足らずなこともあるとは思いますが、チェックしていただければ、と。【密談.特別編】緊急対談:原作者と脚本家はどう共存できるのか編 #セクシー田中さん https://t.co/AX7e6LPP23
(続く)
ゲストとして参加した脚本家の伴一彦さんは、「言葉足らずなこともあるとは思いますが、チェックしていただければ」とXで紹介していました。
現在は削除されてしまっていますが、こちらは別の方が残していた該当の動画です。
1時間を超えますので、全て視聴した筆者が、内容をまとめてお伝えいたします。
シナリオ作家協会の動画内容を徹底紹介!
※カッコ内は、そのテーマのおおよそのスタート時間です。
経緯説明(0:25~)
日本シナリオ作家協会の理事でホストの黒沢さんから、「セクシー田中さん」の経緯説明。
憶測や推測ではなく事実から、ドラマ作りはどんな風に行われて、脚本家はどんな脚色をして、過去にトラブルはあったかなどを話していきたいと説明がありました。
経緯は事実に基づいて話されていました。
ただ、脚本家の相沢さんのインスタ投稿内容がきつかったことには、触れられていませんでした。
※相沢友子さんのインスタ投稿内容については、こちら↓
原作者との交渉はプロデューサーの役目(4:20~)
黒沢さんから意見を求められ、ゲストの伴さんが今回の件について意見を述べます。
- 原作者と脚本家の両方が、お互いの意志を知らずに進んでしまったことが一番の原因。
- 自分は原作者と揉めたことはない。
- 作品の全ての責任はプロデューサーが負う。
- 原作者との交渉などを見えないところで進め、トラブルを無くすのがプロデューサーの役目。
- ただトラブルが発生した場合は直接会ったほうが誤解も解けていい。
本来は、原作者と脚本家の意向をプロデューサーが把握した上で橋渡しするもの。
今回は、お互いの意向をそれぞれに伝えられないまま進んでしまったのではないか、という意見で納得できました。
原作者と脚本家の対立は当然(7:00~)
伴さんの話しを受けての、黒沢さんの話しです。
- 作家同士だからどうしても対立しがちで、それは当然。
- 過去に自分も原作者から様々な要請が入ったことがある。
- 原作者から呼びつけられて、「あなたってほんと、私の原作のことわかってないわよね」と言われたこともある。
- 原作者と脚本家は対立するから普通は会うことはない。
- プロデューサーが間に入るものなのに、SNSで、脚本家が原作を全部変えていると言われて心が痛んだ。
原作者と脚本家は直接会わず、プロデューサーが調整するものなので、脚本家の一存で改変はできないということの主張です。
ただ、「呼びつけられた」という表現や、原作者の発言例など、原作者に意見を言われることを不快に思っている印象を受けました。
また、前段階で伴さんが、「トラブルになったら直接会うほうがいい」と言った件は、スルーされていました。
改変したけれど問題にならなかった事例(8:58~)
黒沢さんの「脚本家の一存では何も変えられない」という意見の補強のため、伴さんに、
「勝手にキャラクター変更しますと言って通る確立は、経験上どれくらいあるか?(ないですよね?)」
と訪ねます。
伴さんの返答です。
- 自分は結構変えている。
- 「食いタン」(原作・寺沢大介)は、歴史小説家を探偵にして、助手の性別を変え、子供を加えた。原作者からは、面白かったと言われた。
- 「デカワンコ」(原作・森本梢子)も原作は使っていない。
- 森本さんからは、漫画つきで「参りました。本当に面白い。こういう漫画が書きたかった」とFAXをもらった。
黒沢さんとしては、「脚本家は勝手に変えられない」という話しで振ったと思いますが、意外にも伴さんからは「変えている」という返事。
変えているけれども揉めていないし、評価してもらっているとのことです。
森本梢子(こずえこ)先生を、森本“しょうこ”さんと発言されていたので、そんなに親しくはないのかなと感じました。
脚本家一人では変えられないことの確認(11:42~)
伴さんが「変えている」という話しをしたため、どういう経緯を経て改変するのかについて黒沢さんが確認します。
- (黒沢)受ける段階で、どこまで変えていいかプロデューサーからは説明があったか?
- (伴)特に無かった。ただ企画会議で、やるんだったらこうしたい、こうしましょう、という話しをし、そこでまとまった通りに書いた。
- (黒沢)企画会議でもし原作通りと言われれば従うしかなく、脚本家一人の意向では変えられないですよね?
黒沢さんとしては、「脚本家の意志では改変できない。プロデューサーが決めること」という点を強調したいのだなと思いました。
その問いかけに、何となく伴さんは困惑しながら「そうですね」を言わざるを得ない流れになっていた印象です。
原作者には2種類いる(12:58~)
黒沢さんが、原作者のタイプについて語ります。
- 原作者には2種類いると思っている。
①原作と映像化は全く別物だからご自由にしてくださいというタイプ。
②こだわりがあるから変えてほしくないというタイプ。初めて書いた人に多い。 - 自分は、企画が出た段階で、プロデューサーに「原作者はどれくらい変えていい方ですか?」と聞くようにしている。
「どれくらい変えていい方ですか?」という問いが、改変ありきにも聞こえるなと思いました。
ここで、伴さんが、
「東野圭吾さんて、どっちタイプなんですか?」
と聞きます。
東野さんの「放課後」を脚色したけれど、会ったことがないし意見を聞いたことがないので、どっちかなと気になったということです。
決して、呼び捨てや「あんなやつ」などとは言っていません。
今回は非常に特殊なケース(16:05~)
黒沢さんから、今回の「セクシー田中さん」は特殊なケースだと説明がありました。
- ドラマ化許可の条件が、「原作通りにやってください」というのは特異なケース。
- 不可能だと思うので、なぜ受けてしまったのか。
- 媒体が違うから同じものにはならないことを、どこまで原作者に説明したのか。
- 原作通りという条件を脚本家に伝えていたのか疑問。
その通りだと感じました。
条件が脚本家に伝わっていなかったのでは?(17:29~)
伴さんが、黒沢さんの疑問を受けて次のように答えます。
- 脚本家のインスタ投稿を見る限り、全く伝わっていなかったのでは?
- いい悪いでなく約束事の問題。それが両者に伝わっていない。
ここで、kizakiさんから、「契約書はかわすものなのか?」と質問が入り、伴さんが答えます。
- かわしているはずだが、自分は1回も見たことがない。
- どういう約束になってるか質問したこともない。
- ただ、NHK「七瀬ふたたび」(原作・筒井康隆)の時は、プロデューサーが筒井さんに、変更したい点を理由とともに丁寧にお願いしたと聞いている。
条件が脚本家に伝えられていなかった可能性はあると思いました。
「七瀬ふたたび」の例では、「筒井康隆さんのような大物じゃなかったらそこまで丁寧にしたかな?」という疑問は少し生じました。
丁寧な説明が不可欠だがドラマのスケジュールがタイト(20:24~)
黒沢さんが、説明の大切さと、課題を説きます。
- 当然原作者は、変更するならするなりの“理由”を説明したもらいたいはず。
- 脚本家も確信があってやっているので、説明できる。
- 丁寧な説明が重要だが、ドラマのスケジュールがタイトでその余裕がないように思う。
- (伴)それでも、そこは時間を割くべきところ。
いわばドラマ制作の「方向性」の問題なので、当然そのコンセンサスなしには始まらないはずと思います。
脚本家が原作者から無謀な要求をされていたわけではない(22:18~)
ここで、
「原作者の芦原さんが、全話ご自身で脚本を書くという話はなかったのかな?」
という質問が視聴者から入ります。
それに対し、黒沢さんが、芦原先生の状況を説明。
- 芦原さんも決して脚本を書きたくて書いたわけではない。
- 最初に出した条件が守られなかったことで途中の段階で加筆が多すぎ、時間的なこともあって自分が書いたほうがいいんじゃないかとなったと思う。
- 決して脚本家が無理な要望(原作者が脚本書きたいなど)を出されていたわけではない。
- 2人ともそれぞれのファンの期待に答えたいという気持ちから、ああいう説明をしたと思う。
この説明は、脚本家の肩を持つわけでもなく、事実をフラットに説明されていて、好感を持ちました。
原作者vs脚本家のような対立構造にしないでほしい(23:53~)
黒沢さんの話しが続きます。
- それぞれのファンが説明を読んで納得すればよかった。
- そうじゃない人たちが責め過ぎなのでは?
- 自分自身もそうだが、すぐに対立構造で物事を見たがるのはよくない。
- 2人が直接的に対立したわけではないのに、脚本家1人が批難されるのはよくない。
- 脚本家が1人で変えられるものではないのに、そんなことも知らずに批難しないでほしい。
その通りだとおもいます。
しかし、ファンへの説明ならファンだけが見られる媒体で説明したほうが良かったと思います。
SNSは全世界の人が目にするもの。
そこであのような説明をしてしまえば、色々な人が意見をするのは止めようがないのではないしょうか。
また、改変のことよりも、脚本家のインスタ投稿が問題という声が多いと思います。
連絡係が機能していたのか疑問(26:45~)
ここで、脚本家が批難されるべきではないと思う理由を、ざのさんが話します。
- 連絡係(間に入っていた人)がちゃんと機能していたのか疑問。
- そこまで条件があるのに、脚本家が我を通すというのは考えづらい。
それに対し、黒沢さんが「丁寧にやるべきだったが、時間に追われる中でなおざりにする部分もある」と説明。
しかし伴さんは、時間がない現場でも、そこはクリアしていたと経験を話します。
伴さんは、すり合わせは重要で、時間の無さは理由にならないと言いたかったのかなと感じました。
オリジナル物をやりたくても企画が通らない(29:43~)
ここで黒沢さんが、
「そこまで改変するならオリジナルをやれよ」
「オリジナルも書けずに原作に頼ってるくせに」
と言われるのが辛いと話し、原作物とオリジナル物についてのやり取りになります。
- (黒沢)脚本家もオリジナルを書きたいが、企画が通らない。
- (伴)原作物は売れ行きなどで着地点が見えてるから通りやすい。
- (伴)役者も着地点が見えてるから原作物に安心感がある。
- (伴)オリジナルでやった時に、最終回までのプロットを作ってくれと言われて面倒くさくて苦痛だった。(書いてみないとわからないスタイルなため)
- (黒沢)オリジナルだと脚本家も周りも大変なので、怠慢ではないけれど、甘えてサボってしまっていたところはある。
オリジナルは面倒くさいことも多いということが正直に語られていました。
ただ「オリジナルは企画が通らない」を言い訳にしている印象も、少し持ちました。
改変せざるを得ないのは予算の関係もある(32:50~)
「改変」ついて、ざのさんが意見を述べます。
- 局は原作物のほうが安心だと思う。
- しかし予算の関係で「改変」「改悪」せざるを得ない。
- 予算を上げるしかないのでは?
これに対し、
黒沢さんが、「関係ない」。
伴さんが、「丁寧に説明してご納得いただくしかない」と反応。
聞いていたkizakiさんが、
「どうしても(改変に)納得いただけない原作は、使わないということにしたほうがいいですよね?」
と切り込みます。
黒沢さんが「うん、できない約束はしちゃいけない」と返答しました。
話しの筋には関係ないのですが、黒沢さんはざのさんに対して、途中で話を遮ったりバッサリ否定したり、少し聞いていて心がざわつきました。
kizakiさんの意見は、非常に合理的でいいな、若い方なのかな?と思いました。
日テレは調整する気があったのか?(34:47~)
そして、一般的な改変やオリジナルの話しから、ざのさんが「セクシー田中さん」に話しを戻し、
もっと調整する時間があったら、こんなことにはならなかったのでは?
と意見を言います。
ここで、kizakiさんが再び提言。
どうなんだろう。本当に日本テレビに調整する気があったのかどうかについて、検証するべきですよね。
それに対して黒沢さんは、「そこは、、もう、、、」とどちらとも取れる反応。
伴さんは、「人が1人亡くなっているわけですからね」と受けました。
kizakiさんやざのさんは、日テレの進め方に疑問を持っていることがはっきりわかりました。
忖度しない姿勢は好感が持てます。
黒沢さんは、立場上、はっきり言えないのかなと感じました。
脚本家を批難している人は私人逮捕系YouTuberと一緒(35:40~)
日テレ批判からの軌道修正のためか、黒沢さんが誹謗中傷はやめようと再び語ります。
- 何もわからないのにどっちが悪いとかは言わない方がいい。
- 批難してる人は、たくさん逮捕されている私人逮捕系YouTuberと一緒。
- 様々なケースで色々な事情が出てくる。
- 憶測だけで、本当に何があったかなんてわからない。
- 脚本家のせいとか断言するような発言はやめていただきたい。
- (ざの)対立構造で批判するのは、やめてもらいたい。(だいぶ怒りの口調)
あれ?突然一方的な擁護?と驚きました。
ここまで、割と客観的な事実と事例で語られていたと思ったのですが、“色々”“様々”と曖昧になります。
私人逮捕系YouTuberと一緒にするのは、違和感を感じました。
原作通りの脚本はありか?(38:57~)
ここから、原作にどこまで沿うのかという議論になります。
- (伴)原作通りという条件なら自分はやらない。紙に書いてあるものから映像にしやすいものを書くだけになるから。
- (黒沢)でも悲しいかな、それを望んでる人たちが余りにも多いですよね?なんか原作トレースでやってくれみたいな。
原作通りにやれという人が多いと、不満を述べる黒沢さん。
ここにkizakiさんが質問をし、黒沢さんとのやりとりが始まります。
- (kizaki)それは(要望してるのは)視聴者層ですか?制作サイドですか?
- (黒沢)え、視聴者層ですよ。視聴者層というか原作ファンの方々ですよね。
- (kizaki)ですよね。でも原作をドラマ化するというのは、最初から原作ファンを想定してるじゃないですか。
- (黒沢)そーなんですよ!
そのために、制作サイドもトレースの上手な脚本家でいいということになり、いい脚本家が育たないと黒沢さんはつなぎました。
原作トレースは脚本家の仕事ではないとする伴さん。
原作ファンからトレースを要望されることに不満を述べる黒沢さん。
そこに、そもそも原作のドラマ化は原作ファンを見越してなのでは?と疑問を投げかけるkizakiさん。
ここは矛盾なので、もっと深掘りして議論する必要があったのではないでしょうか。
自分が原作者だったらどう思うか?(40:43~)
黒沢さんが、伴さんが小説家でもあることを紹介し、脚本家がストーリーを書けないなんて大きな間違いだとわかってほしいと話します。
そこから、非常に興味深い展開になりました。
- (伴)自分の作品を他の脚本家に預けるとしたら、どうしようかなと今回のことで考えてしまう。
- (kizaki)伴さんは自分の作品を映像化するとしたら、変えられるのはやっぱり嫌ですよね?
- (伴)ていうか自分で書くのを条件にする。
やはり変えられるのは原作者は嫌という方向に、黒沢さんが少し慌てたように反応します。
- (黒沢)でも、渋々ほかの脚本家に頼んでもし意図と違う脚色をされたら、「違うよね」と言いますよね。
- (伴)面白いと思うかもしれないし、わからない。信頼できれば任すかもしれない。
やはり信頼関係が大切と、黒沢さんが引き取ります。
伴さんは、非常に正直に気持を述べられているなと感じました。
一方、黒沢さんのフォローは、少しでも脚本家批判にならないように敏感だなという印象です。
「信頼関係があれば大丈夫」というまとめ方は、前半にプロデューサーが調整するものとしていた主張と矛盾します。
原作者と脚本家は顔を合わせるべきか?(42:49~)
「信頼関係が大切」という話しから、ざのさんが問いかけます。
- (ざの)もし伴さんの小説を映像化するなら、(決定した)脚本家の人に会ってみたいか?
- (伴)会って、「ご自由に」とか「ここだけは変えないでほしい」と言ったほうがいい気がする。
そして、ざのさんが、
やはり顔の見えないヤツが、ドラマのためとはいえ「改変して」と言うのは、原作者にとって気持ちのいいものではないかもしれない。
と意見を言います。
ざのさんの意見は、ベテラン脚本家からすると少し青臭いのかもしれませんが、一般感覚に近いなと思いました。
「私は原作者に会いたくない派」発言(43:41~)
このやり取りを聞いていた黒沢さんが、次のように発言します。
まあ、私は原作者に会いたくない派なんですよ。
突然の言い放つような言い方に、他の3人は明らかに戸惑っています。
kizakiさんが、「え、なんでですか?」と思わず聞きます。
ん?私が対峙するのは原作であって、原作者の方はあんまり関係ないかなーって。
黒沢さんがこう答えましたが、皆さん返答ができず、視聴者のコメント紹介へ移りました。
なぜ突然、周りも困惑するこのような発言をされたのか意図が不明でした。
それまでの「信頼関係が大切」という話から、真逆の発言です。
これはあくまで筆者の印象ですが、黒沢さんはざのさんの「お互い顔が見えたほうがいい」という意見を否定したいだけだったのかなとも思います。
何か、ざのさんを快く思っておらず、その気持ちが勝って、ぶったぎってしまった感じはありました。
この発言は拡散されていますが、拡散されている内容には一部誤りがあります。
✕ 私が大事にするのは原作
◯ 私が対峙するのは原作
脚本には注文がつくことが多い(44:16~)
視聴者からの「脚本家さんには注文がつくことが多いですよね?」という質問を受け、黒沢さんが伴さんに問いかけます。
- 多いですよね?
- 恋愛要素を入れてくれとか。
- 役者さんが決まってから変えてくれとか。
伴さんは「あー」「うーん」とだけ反応し、答えませんでした。
前半に話されていたように、伴さんは丁寧な説得でご自分の意見が通ってきたことが多く、全面的に賛同できなかったように思いました。
予算の関係もありオリジナル物をやれる場が少ない(44:50~)
視聴者からの、「アニメが原作に忠実で、ドラマは離れるイメージがありますね」というコメントから、原作物とオリジナル物の話になります。
- 2次元を3次元にするのはどうしても難しい。
- アニメはシナリオがなく、漫画をそのまま映像化する場合もある。
- オリジナルを書きたいが、某配信会社などは原作物しかやらないと決めていて、道が閉ざされつつある。
- しかし某テレビ局の某テレビ枠のように逆に原作物はやらないところもある。
- 予算が少ないとオリジナルになる場合が多い。(自由にできるから)
そこから予算が減っているという話を黒沢さんがします。
- テレビも予算が減っていると聞く。
- 予算が減るとかける時間も減る。
- だから丁寧な対応もできなくなったりもする。
32:50~のところで、「予算を上げるしかないのでは?」というざのさんの意見に、「関係ない」と答えていた黒沢さん。
しかしここでは、予算が減ると丁寧な対応ができなくなると発言しています。
原作者さんが謝る必要はない(48:07~)
黒沢さんがまとめに入り、芦原先生の最後のX投稿について話します。
攻撃したかったわけじゃなくて。
— 芦原妃名子 (@ashihara_hina) January 28, 2024
ごめんなさい。
- 原作者さんは、謝ることは全然ない。
- 最初から出していた約束を破られて、その経緯を話しただけ。
- 人として説明したいのは当然。
- ぜんっぜん謝る必要はないし、誰かが責めるべきことでもない。
その通りなのですが、当たり前のことを上から目線で言われている気持ちになるかもしれません。
脚本家を責めないでほしい(48:55~)
続けて、脚本家への批判について話します。
- 誰かを責めたい人は脚本家へ向かう。
- 脚本家も自分の言われた仕事をしただけ。
- 脚本家を責めてほしくない。
- 状況が産んだボタンの掛け違いなだけで、対立構造に世間がしたことが悲しい。
- 自分の作品が叩かれる脚本家は、皆さんが思っている10倍20倍傷ついている。
作品を叩かれて傷つくのは、原作者も同じだと思います。
それが、改変されたものなら尚更ではないでしょうか。
今後の脚本に影響はあるか?(50:20~)
視聴者からの「今回の件は今後の脚本家の仕事に影響があるか?」という質問に、答えます。
- (伴)脚本家が勝手に変えたんだみたいな風潮が広まるのはよくない。
- (黒沢)脚色は認められなくなるかも。
- (ざの)事務所やテレビ局の都合も入れない原作通りで、純度の高いものができるのか?
- (黒沢)それが世間に求められていることと制作サイドが判断したら、そうなるかも。
ドラマ制作の構造に問題があるのでは?(52:00~)
最後に黒沢さんがショックを受けたという、
「最近、どのドラマも全部展開が同じに見えるのは、脚本家が改悪して原作の魅力をダメにしているせい?」
という内容のSNSを紹介して、意見を求めます。
そこでkizakiさんが、
今、プロデューサーの意見が入らない脚本て無いじゃないですか?
と発言。続けて、
その脚本を生み出す制作体制や構造側に、もっと大きい問題があるんじゃないかと思う。
と意見を述べます。
今後の改善策を考えた時、避けて通れない問題です。
脚本家からすれば、プロデューサーにちゃんと調整してもらわないと安心して仕事ができないと思います。
一般の人は誰が何をやってるか知らない(54:07~)
kizakiさんの意見に対して、伴さんは次のように話しました。
- 一般の人は、誰が何をやっているのか知らない人が多い。
- プロデューサーの仕事は、わかりにくい。
- 制作体制を言ってもピンと来ないのはないか。
「ああそうか」とうなずくkizakiさん。
わからない人の意見は取り入れなくてもいい(54:44~)
黒沢さんが、伴さんの話を受けて続けます。
- わかってない人の意見を取り入れすぎかも。
- わからない人にわかってもらおうとしなくていいのでは?
- SNSでフォロワーの多い人などの声を重視して動く限り、状況は変わらない。
伴さんは、「僕はわかってもらったほうがいいと思うから説明するけど、なかなか伝わらない」と話しています。
黒沢さんの「わからない人は相手にしなくていい」という説は、また唐突です。
また、インフルエンサー=わかってない人という構図も疑問を感じました。
伴さんは、やんわり反論されていて、その後黒沢さんも「脚本家もわかってもらう努力をしなくちゃいけない」と意見を変えていました。
最後のまとめ(57:46~)
最後のまとめとして、それぞれが話しました。
- (黒沢)脚本家はオリジナルでやりたいと思っている。
- (伴)脚本家自身が「この小説ドラマ化したい」と思ったら言ったほうがいい。幸せな出会いになるかも。
- (kizaki)今回の問題がきかっけで、「原作物はやめよう」という意識が業界に働いて、素晴らしい原作が見過ごされるようになったら残念。
- (黒沢)極端に走るのはやめてほしいというのはある。
- (ざの)自分が好きな原作のドラマ見て「なんでこんな風にしてるんだろう」というのは往々にしてあるから、決して脚本家だけの肩を持つつもりはない。
- (ざの)ただ、色々変えているのは脚本家だけではないということを知っておいてほしい。
脚本家は原作物を好んでやっているわけではないという黒沢さんに対し、原作物の良さもあると話す伴さんとkizakiさん。
やはり最後も、考え方の違いが現れているのですが、深く議論されることはありませんでした。
シナリオ作家協会の動画は削除の必要があったのか?
客観的に見て、削除の必要はなかったと感じます。
理由としては、
- 拡散された内容との正否の検証ができなくなる。
- 動画では様々な意見が交わされているのに全て消されてしまう。
- 一部明らかに不適切な発言もあるが、ほとんどは批判されるような内容ではない。
ことです。
どちらかと言うと、テレビ局からクレームは来るかもという内容でした。
ただ、事の始まりは、脚本家の相沢友子さんのインスタ投稿だったことに全く触れられていなかったことは、気になりました。
※相沢友子さんのインスタ投稿内容については、こちら↓
黒沢さんは、日本シナリオ作家協会の理事ということもあり、「全ての批判から守らなくては」という意識が強かったのかもしれません。
まとめ
この記事では、削除された、日本シナリオ作家協会のYou Tubeチャンネルの動画内容についてお伝えしました。
長い動画ですが、脚本家の立場や、脚本家の中にも色々な方針の方がいる、意見もそれぞれ違うということがわかりました。
二度と悲しいことが起こらないよう、テレビ局も含めて、検証してほしいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。