2014年4月16日に韓国で起きたセウォル号沈没事故。
死者・行方不明者は304名にのぼり、そのうちの250名は修学旅行中の高校生だったという悲惨な事故でした。
この事故について当時韓国の一部で、「日本のせい」という世論があったのです。
運航会社も船のオーナーも韓国なのに、なぜなのでしょうか。
この記事では、「日本のせい」と言われた驚きの理由2つを解説します。
セウォル号沈没事故とは
する事故が発生しました。
セウォル号は韓国の清海鎮海運が運航するフェリー。
2014年4月15日の夜に仁川港を出港し、済州島に向かって乗客・船員合わせて476名を乗せて運航していました。
出港翌日の4月16日の8:52頃、珍島沖海上で転覆事故を起こします。
乗客の中には、修学旅行中だった檀園高等学校の生徒と教員339名も含まれていました。
事故発生後、乗客を乗せたまま沈没していく船の光景や、船長・乗務員が乗客を見捨てて救出される様子などが全世界に報道され、衝撃を与えます。
日に日に発表される犠牲者の数は増え、最終的に304人に。
乗客を救助せず船から逃げた船長イ・ジュンソクは無期懲役、その他14人の乗組員も懲役刑に処せられました。
※セウォル号船長の現在と当時のクズ行動・判決については、こちらの記事をご覧ください。
また、朴槿恵(パク・クネ)大統領が事故報告を受けてから、7時間の行動が不明だったことや、政府対応の無能ぶりも明らかになり、政権を揺るがす大問題にも発展しました。
事故の原因は、様々なことが複合していると報じられています。
- 過積載とバラスト水の操作ミス
- 運航会社・清海鎮海運の問題
- 船長の離席と三等航海士の経験不足
- 不適切な船体改造
- 船体検査制度の不備
- 船体の故障
特に運航会社「清海鎮海運」のオーナー兪炳彦(ユ・ビョンオン)は、利益を優先させ無理な船体改造や過積載を繰り返しており、事故を招いた背任容疑などで指名手配されましたが逃亡。
のちに遺体で発見されました。
セウォル号沈没が日本のせいと言われた理由が理不尽
ではなぜ、「日本のせい」という声が韓国で上がったのでしょうか。
それは理不尽な理由でした。
①セウォル号は元々日本の船だったから
セウォル号は元々、1994年に下関の林兼造船で建造され、鹿児島県の「マルエーフェリー」が鹿児島-沖縄航路で「フェリー波之上(なみのうえ)」として運行していた船です。
2012年に引退後、韓国の清海鎮海運に約8億円で売却されました。
そのため、
日本で造った船に欠陥があった!
と、日本に責任があるという声が上がったのです。
2009年に日本の三重県沖で座礁横転事故を起こした、フェリー「ありあけ」もマルエーフェリーが運航会社であり、造船会社も同じだったのも世論に拍車をかけたようです。
しかし、次の理由から、原因は日本の造船にはないと言えます。
- スクラップ(ほぼ鉄屑同然)という条件で売却されている。
- 買い取った清海鎮海運が利益優先で、最上階部分船体後方に客室を増設。
- 定員数は804人から921人になったが、重心がマルエフェリー時代より高くなっている。
このように、スクラップで買い取った船を韓国側で改造しています。
沈没は様々な要因で起こっていますが、「日本の造った船に欠陥があった」という主張は、無理があるでしょう。
②修学旅行は日本から持ち込まれた風習
このセウォル号沈没事故の悲惨さは、死者・行方不明者の数もさることながら、修学旅行中の高校生が大勢犠牲になってしまったことです。
このことから、事故そのものではなく修学旅行を問題視する論調が発生し、「修学旅行の廃止を求める署名運動」も韓国国内で行われました。
その中で、理不尽とも言える声が一部で上がったのです。
修学旅行は日本占領時に持ち込まれた悪習で、日本のせいで生徒達は亡くなった。
というものです。
修学旅行が日本から持ち込まれたという事実は確認できていません。
おそらく反日感情から出たコメントだと思いますが、これは理不尽ですね。
まとめ
この記事では、セウォル号沈没事故が「日本のせい」と言われる理由について解説しました。
いずれも理不尽なもので、実際は韓国の運航会社の問題や、操縦ミス、船長をはじめとする乗組員の問題で悲惨な事故になってしまいました。
日本でも知床観光船の事故など、船舶事故は発生しています。
セウォル号をはじめとする過去の事故を風化させず、今後の教訓にしていきたいですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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