大相撲で元横綱の曙太郎さんが、4月に入って亡くなっていたことがわかりました。
享年54歳でした。
死因は心不全ですが、心不全は病名ではなく、さまざまな疾患が引き起こす心臓機能弱化の状態のこと。
原因となった病気は何だったのでしょうか。
また、近年は闘病中だったということですが、いつから病でどんな闘病生活だったかについても調べました。
ご覧ください。
曙太郎のプロフィール
- 名前:曙太郎(あけぼの たろう)
- 旧名:チャド・ローウェン
- 生年月日:1969年5月8日
- 没年月日:2024年4月(54歳)
- 出身地:ハワイ オアフ島
- 学歴:ハワイパシフィック大学中退
- 身長:203センチ
- 初土俵:1988年3月
曙太郎さんは、同じハワイ出身の高見山元親方に見込まれ相撲界入り。
1988年3月場所で初土俵を踏み、1990年9月場所で新入幕。
その後、1992年5月場所の千秋楽で、若花田を一気に押し倒し幕内初優勝します。
1993年初場所後に、外国人としては初となる第64代横綱に昇進しました。
1995年には日本国籍を取得しています。
当時は空前の「若貴ブーム」で曙関はヒール役でしたが、実際は非常に礼儀正しい謙虚な性格で、「日本人以上に日本人らしい」と言われていました。
2001年1月、膝の怪我の回復が見込めないことから引退。
現役引退後は曙親方として東関部屋で後輩の指導をしていましたが、日本相撲協会のやり方に不安を抱き2003年に退職します。
その後は格闘家に転身。
2023年大晦日のK1でボブ・サップと対戦し、1ラウンドKO負けしてうつぶせに倒れる姿は衝撃を与えました。
対ボブサップの曙が好きでした pic.twitter.com/tdbLKVh0xg
— なぎ (@nagityan0806) April 11, 2024
その後は、キックボクシングやプロレスにも挑戦し、格闘家として活動。
2015年には、自らのマネジメント事務所でプロレスラーとしての所属団体「王道」を発足していました。
プライベートでは、2000年にクォーターのクリスティーン・麗子・カリーナさんと結婚。
娘1人、息子2人に恵まれています。
※曙太郎さんの妻や子供については、こちらの記事をご覧ください。
曙太郎の死因となった病気は何で闘病はいつから?寝たきりで記憶障害も
曙太郎さんは、最初に倒れたのは2017年4月、九州。
心不全により意識不明状態となり、緊急搬送されました。
胸に痛みが走ったのは、昨年4月12日の朝だった。
数日前から調子が悪く、プロレス団体DDTの大牟田大会(福岡)に出場した翌日に北九州市内の病院へ向かった。急性心不全だった。右脚蜂窩(ほうか)織炎と感染症もあってさらに心臓に負担がかかり、心身の不調が続いた。
引用:日刊スポーツ 2018年3月9日
その際に37分間も心停止となり、意識不明で生死を彷徨います。
家族が覚悟するまで容体が悪化しましたが、何とか一命を取り留めました。
急性心不全は、突如急激に発症する心不全のこと。
原因には、次のようなことが挙げられるそうです。
■急性心不全の原因
- 慢性心不全の急激な悪化
- 急性心筋梗塞
- 急性心筋炎
- 心臓弁膜症
※クリニックプラスより
曙さんの現役時代の体重は230kg以上。
それだけで心臓に負担がかかっていたと考えられます。
また、右脚蜂窩織炎(ほうかしきえん)を患っていたことも、回復のためポンプで血液を送ろうとする心臓に負担をかけていたようです。
■蜂窩織炎(ほうかしきえん)とは?
足などから細菌が入る病気。
素足でいることの多い力士の職業病とされている。
そこから長い闘病生活が始まり、体重は140kgまで減少。
自身の力では身体をしっかり動かすことができず、補助が必要な車いすでの生活となっていたことがわかっています。
心肺停止の時間が長かった影響で、妻のクリスティーンは何とかわかるのもも、お子さんのとこはあまり認識できなくなっていたようです。
しかし、2018年に放送されたバラエティー番組でかつてのライバルだった若花田(現:花田虎上)さんが見舞うシーンが公開され、その時は過去の取組みも詳細に覚えていました。
復活を誓って7年の闘病生活を懸命に送りましたが、残念ながら亡くなられてしまいました。
まとめ
この記事では、2024年4月に亡くなった曙太郎さんの死因や病気についてお伝えしました。
復活が叶わず残念です。
御冥福を心よりお祈り申し上げます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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