日本共産党の田村智子参議院議員。
現在は政策委員長を務めており、辞意を表明した志位委員長の後任としても注目を集めています。
長野県小諸市出身で、現在参議院議員3期目の田村さんですが、実は6回の落選を経験していました。
この記事では、田村さんの学歴や、子供時代を含めた経歴についてお伝えしますので、ご覧ください!
田村智子(日本共産党)のプロフィール
- 名前:田村智子(たむらともこ)
- 愛称:タムトモ
- 生年月日:1965年7月4日
- 年齢:59歳(2024年7月現在)
- 出身:長野県小諸市
- 政党:日本共産党
- 役職:政策委員長
2024年、高尾山での新春のご挨拶からスタート。
— 田村智子 (@tamutomojcp) January 1, 2024
谷川智行さん、宮本徹さん、笠井亮さん、吉良よし子さん、小池晃さん、そして私が国の政治を変える多様性あふれるリレースピーチ!
暖かな元旦、宣伝には助かるけれど地球温暖化の影響か。
平和、暮らし、気候変動、どれも希望を開く年にしよう! pic.twitter.com/b1CLpXB0jS
リストラ・雇い止めの告発、貧困の解決、「桜を見る会」への追求など、希望を持てる社会を目指して活動されています。
田村智子(日本共産党)の学歴は?
小諸市立野岸小学校
小諸市与良町にある、地元の小学校に通っていました。
小諸市立小諸東中学校
中学校も地元の中学校です。
長野県野沢北高等学校
高校は、佐久市の野沢北高校へ進みます。
偏差値は61~65で、長野県の高校181校中の9位。
進学校で、当時から優秀だったことがわかります。
小諸からは電車で1時間くらいかかるので、通学も大変だったのではないでしょうか。
早稲田大学 第一文学部
1984年、早稲田大学へ。
混声合唱団に入りサークル活動に没頭しますが、その年に大学が、毎年学費を値上げする「スライド制学費」の導入を発表。
疑問を持った田村さんは、反対運動をしていた日本民主青年同盟の友人に誘われ加入し、翌年2年生の時に日本共産党へ入党しました。
田村智子(日本共産党)の経歴は?
子供時代~大学時代
田村さんは、小諸市の「山﨑文房具店」に生まれます。
ご両親と姉・弟の5人家族。
子供の頃から、父の店に来るお客さんや、問屋さんとのやり取り、そろばんをはじく姿を見ており、儲けだけではない「働く喜び」を学んだそうです。
しかし、大学時代に共産党に入党すると、ご両親と溝ができてしまいます。
学生時代、両親が、私の政治活動を人伝てに知ることとなり、心配いらないと話すために夜行列車で帰省した。
— 田村智子 (@tamutomojcp) September 11, 2021
核兵器廃絶や学費値上げ反対を呼びかけている、大学内での暴力を許さないのが日本共産党だと話しても分かり合えなかった。
悲しくて辛くて涙で目が腫れ上がった。両親も同じだっただろう。
田村さんの活動を人づてに聞いたご両親を説得しようと帰省したけれど、わかってもらえなかったとあります。
大学時代はずっと理解を得られなかったようです。
大学4年になる時、民間の学生寮から契約更新を拒まれた。母親が上京し経営者と三者面談。
— 田村智子 (@tamutomojcp) September 11, 2021
「共産党をやめろは言わないご心配する親御さんがいるから表だって活動しないと約束を」と求められ、私はやましい事は何もない、隠れてやる活動はないと宣言した。
黙っていた母の顔が今も脳裏に焼き付いている
共産党の活動には世間の風当たりも強く、ご両親の複雑な心境がうかがえます。
日本民主青年同盟へ入職
1988年に早稲田大学を卒業すると、そのまま日本民主青年同盟に就職。
機関誌「われら高校生」「民主青年新聞」編集長を経て、中央委員会常任委員となります。
この年に初めて選挙に立候補していますが、落選しています。
日本共産党入職
1993年6月、民青同盟で出会った男性と結婚し、1995年には第一子を出産。
これを機に青年運動を卒業することとなり、日本共産党(国会議員団事務局)へ入職します。
※【画像】田村智子(日本共産党)の夫と家族構成については、こちらの記事をご覧ください。
政治家秘書
1997年には、石井郁子衆議院議員(共産党)の秘書となります。
2002年1月には配置転換で井上美代参議院議員(共産党)の秘書を務めます。
政治家として
党内では、
- 2006年12月 東京都委員会副委員長
- 2010年1月 中央委員会准中央委員
- 2010年2月 国民運動委員
と力をつけていき、2010年7月の第22回参議院議員通常選挙で初当選(比例)。
しかし、実はそれまでに、6回の落選を経験しています。
- 1998年 第18回参議院議員通常選挙(比例) 落選
- 2001年 第19回参議院議員通常選挙(比例) 落選
- 2005年 第44回衆議院議員総選挙(東京都) 落選
- 2007年 第21回参議院議員通常選挙(東京都) 落選
- 2009年 東京都議会議員選挙 落選
- 2009年 第45回衆議院議員総選挙(東京都) 落選
落選の度に勉強を更に重ねたと思いますので、この経験が、現在の国会での鋭い質疑などに繋がっているのではないでしょうか。
共産党の活動に反対していたご両親も、選挙に立候補してからは応援し続けてくれたそうです。
その応援も、政治家になるという信念を後押ししてくれたと思います。
現在参議院議員3期目。
本日の新宿西口の第一声の後で、東京選挙区候補の #山添拓 さんを応援する市民勝手連、YAMA部のみなさんからエールをいただきました。#比例は日本共産党 #田村智子 pic.twitter.com/KMchO3AN7J
— 田村智子事務所 (@tamutomojimusyo) June 22, 2022
次の第50回衆議院議員総選挙では、比例東京ブロックの候補として衆議院に鞍替えして立候補予定と、日本共産党は発表しています。
また、2024年1月18日には、共産党の志位和夫委員長が辞任の意向を示し、後任に田村さんの名前が上がっています。
まとめ
この記事では、日本共産党の田村智子参議院議員について、学歴や経歴をお伝えしました。
信念を持って地道に確実に経験を重ねてこられた印象です。
影響力の大きかった志位委員長の後任は大変だと思いますが、頑張っていただきたいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※【画像】田村智子(日本共産党)の夫と家族構成については、こちらの記事をご覧ください。