2000年に起きた、イギリス人ルーシー・ブラックマンさんがバラバラ遺体で見つかった事件。
捜査の結果逮捕されたのは、ルーシーさんの勤めるクラブの常連客で、不動産管理会社社長の織原城二(おばら じょうじ)でした。
その後の調べで、なんとルーシーさんを含めた10人の女性(日本人4人・外国人6人)に準強姦をし、そのうち2人の女性を死亡させたとして起訴。
2010年には無期懲役の判決が出ています。
この織原城二は、元は在日韓国人で大変裕福な家に育ったことがわかっています。
この記事では、
- 織原城二の実家と家族構成
- 織原城二の生い立ち
これらについて詳しくお伝えしますので、ご覧ください。
【画像】織原城二は元在日韓国人の金聖鐘・実家と家族構成
- 名前:織原城二(おばら じょうじ)
- 出生名:金聖鐘(キム・ソンジョン)
- 生年月日:1952年8月10日
- 年齢:72歳(2024年8月現在)
- 出生地:大阪市阿倍野区北畠
織原城二は1952年、大阪に生まれました。
家族構成は次の通り。
- 父:金教鶴(キム・キョハク)
- 母:全玉尋(チョン・オクス)
- 長男:4歳上
- 次男:織原城二
- 三男:4歳下
- 四男:6歳下
織原城二の両親は在日韓国人です。
2人は太平洋戦争前に自由移民として日本に移り住みました。
貧しい移民でしたが、戦後の混乱期に乗じてスクラップ集めからタクシードライバーを経て、不動産会社・駐車場・パチンコ店の経営などで莫大な資産を築きます。
織原城二が生まれた頃には、非常に裕福な家庭だったようです。
実家は、高級住宅街で知られる大阪市阿倍野区北畠。
一戸建ての豪邸を構えていたそうです。
【画像】織原城二は元在日韓国人の金聖鐘・生い立ち
厳しく育てられた幼少期~中学
教育熱心で厳しい家庭だったようで、幼稚園時代から
- 3人の家庭教師
- ピアノ
- ヴァイオリン
などを習わされ、あまり友人と遊ぶことなく幼少期を過ごしました。
小学受験をし、難関校である大阪教育大学附属天王寺小学校に合格します。
小学校に入学するタイミングで、通称名
星山聖鐘(ほしやま せいしょう)
を名乗るようになります。
差別があからさまに行われていた時代ですし、それを避けるためだったと思われます。
しかし小学校では、友人らしい友人はできませんでした。
目つきが鋭かったのと、怒りっぽく我が強い性格だったためと言われています。
中学はエスカレーター式で、大阪教育大学附属天王寺中学校へ進学。
厳しい親への反抗心は強く、とにかく父親の管理化から逃れたいと猛勉強をしたそうです。
高校では田園調布の豪邸住まい
親から逃れるため、東京の高校を受験。
慶應義塾高等学校に合格し、入学しています。
偏差値76の難関ですから、相当勉強をしたのでしょう。
一人暮らしをすることになった織原城二に親は、なんと家政婦付きで田園調布の一軒家を用意します。
高級住宅街で知られる田園調布の中でも目をひく豪邸で、庭にはプールがあり、数台の車が停められるガレージも併設されていました。
高校には在日2世の生徒が何人かいましたが、織原城二は一貫して自分の出自を隠します。
韓国人の特徴的な目も気にしていたのか、
- 目頭切開
- 二重まぶた
の整形もしました。
さらに体も鍛え、髪型も当時流行したケネディカットにして、韓国人らしくない見た目にこだわっていたようです。
その甲斐あってか、織原城二の親が韓国人であることは誰も知らなかったと言います。
父親が急死し資産相続
1969年、17歳の時に父親が出張先の香港で急死します。
死因は急性脳卒中とされていますが、仕事のトラブルで謀殺されたと噂されています。
子供たちは莫大な遺産を相続することに。
- 長男:父が経営していたタクシー会社
- 織原城二:田園調布の土地と建物/父が所有する駐車場
- 三男:父が経営していたパチンコ店
- 四男:不明
人生安泰と思ったのか、父親からの開放感か、高校生とは思えない派手な生活を送りはじめます。
高校時代から「征服プレイ」
ブランド物を身にまとい、女性に貢ぐという高校生とは思えないお金の使い方をしていた織原城二。
1人でディスコに通い、白人女性をターゲットに声をかけていたと言います。
逮捕後の捜査で判明しましたが、高校在学中の1969年頃から、アルコールやクロロホルム、睡眠薬を使用した「征服プレイ」を始めています。
彼が名付けた「征服プレイ」なるもの。17歳以降のすべての性生活について詳細を記録してきた彼は、当然、その一部始終もカメラで記録していた。
引用:東洋経済オンライン
大学入学後に帰化
慶應義塾高校卒業後は慶應義塾大学への内部推薦を辞退し、駒澤大学へ進学。
そして19歳で日本に帰化し、
織原城二
という新しい名前を取得します。
帰化後はパスポートを取得し、
- アメリカ
- スウェーデン
に3年間遊学。
結局、駒沢大学は中退し、1974年頃に日本へ帰国したのち、慶応義塾大学法学部の法律学科と政治学科を卒業しています。
大学卒業後
大学を卒業した織原城二は、特に就職をすることもなく、海外旅行をするなど自由な生活を謳歌。
30代になり、父親から相続した財産を元手に不動産開発業を拡大します。
日本各地のマンションやビルを次々購入し、一時期は総資産40億円にまで達しました。
ルーシーさんを誘い出した神奈川県逗子市のマンションもその1つです。
しかし、バブル崩壊などもあり、1999年には自宅を一時的に差し押さえられたほか、複数の所有物件の差し押さえを受けていました。
そして2000年に、ルーシさんをはじめとする複数の女性に対する準強姦致死罪などで逮捕・起訴。
事件から10年後の2010に無期懲役が確定しています。
※織原城二が服役している刑務所や仮釈放の可能性については、こちらの記事をご覧ください。
まとめ
この記事では、ルーシー・ブラックマン事件でわいせつ目的誘拐や死体損壊・遺棄罪で無期懲役となった織原城二の出自や生い立ちについてお伝えしました。
出自の問題や差別、厳しい親からの管理、苦労せずに手に入れられた裕福な生活などが犯行に影響しているのでしょうか。
しかし、環境をこのような卑劣な犯罪の言い訳にすることはできません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
こちらも:織原城二は現在も無期懲役で服役中!刑務所はどこで仮釈放の可能性は?