ニューヨークで活躍するジャズ作曲家・ピアニストの宮嶋みぎわさん。
ミュージシャンとしてはもちろんですが、プロデューサーとしてグラミー賞に5度ノミネートという経歴がすごいです。
その能力は、宮嶋さんの経歴にも要因があるようです。
この記事では、
- 宮嶋みぎわさんのプロフィール
- 宮嶋みぎわさんの経歴
- 結婚歴と離婚歴
これらについてお伝えしますので、ご覧ください。
宮嶋みぎわの年齢などwiki風プロフィール
- 名前:宮嶋みぎわ
- 誕生日:1974年6月17日
- 年齢:49歳(2024年5月現在)
- 出身地:茨木県日立市
- 出身大学:上智大学文学部教育学科
- 職業:ジャズ作曲家、ピアニスト、プロデューサー
父・一夫さん、母・裕子さんの間に長女として生まれた宮嶋さん。
「みぎわ」という珍しい名前は、
疲れた旅人を癒す砂漠のオアシスのように、「水際(みぎわ)に友達が集まってきて、元気になって帰っていく」
そんな人になってほしいと、ご両親がつけられたそうです。
宮嶋さんは、2024年の誕生日で50歳になられます。
では、その異色な経歴を子供時代から順に見ていきましょう。
宮嶋みぎわのwiki風経歴
幼少期~中学
宮嶋さんは、母の影響で3歳の頃からピアノを始めました。
最初はお母さんに教えてもらい、5歳からヤマハ音楽教室へ。
家族で行ったサーカスに感動して、6歳のときに初めての作曲をしたというので驚きです。
こちらが、その曲です。
15歳の時に、中学生向け音楽大会の作詞作曲部門で全国優勝。
周りからは将来を期待をされてましたが、そのためには東京で一流の先生にレッスンを受けるなど音楽に集中しなくてはなりません。
宮嶋さんは小学生の頃から、
バランスの取れた人間になりたい
という気持ちが強く、音楽だけではなく他の科目の勉強もしたいと思っていたと言います。
ピアノのレッスンは続けましたが、この頃は音楽家になりたいとは思っていなかったようです。
高校
高校は、茨木県立日立第一高等学校へ進学。
偏差値64の進学校。
自立の精神が尊重されていて、制服もなく自由な校風です。
高校生の頃は、勉強が好きで成績がよかったけれど、ほとんどピアノは弾かなくなり、趣味で弾き語りをする程度。
身近な人が幸せかどうかが気になるタイプで、
「ひとりひとりが自分で幸せを見つけられるように教育したい」
と、教育学科を目指すことになりました。
大学
大学は、上智大学文学部教育学科に進学。
偏差値は60~65です。
高校時代から体調がすぐれず、大学時代も勉強一筋と考えていた宮嶋さんですが、親友がきっかけをくれます。
高校時代の弾き語りの録音テープなどを聞かせていたその親友は、宮嶋さんの才能を高く評価していて、
「体調が悪いのは音楽から逃げてるからだよ!」
と、宮嶋さんをジャズサークルに連れて行ったそうです。
そこで出会ったビッグバンド(ジャズオーケストラ)は、クラシックピアノとは全く違いました。
大人数でのアンサンブル、強いリズムなどの世界観に魅了され、入部を決意。
それが、上智大学ニュースイングジャズオーケストラでした。
それまでクラシック一辺倒だった宮嶋さんは独学でジャズの勉強に励みます。
そうして、学生ビッグバンド業界で、徐々に人気ピアニストになっていき、定期演奏会やジョイントコンサート、コンテストと活動の場を広げていきました。
リクルートへ就職
ジャズに打ち込んでいたものの、プロのミュージシャンを目指すことは考えられず、「とにかく就職しなくては」と考えや宮嶋さん。
日立市出身で、周りの大人90%が日立製作所勤務。
成人したら会社で働くのが当たり前と思っていたのも影響していたようです。
就職したのは、株式会社リクルート。
「世の中に溢れる情報を、その人にとって一番必要な情報を取りやすい形に並べかえるのが、リクルートの仕事だったから、世の中に役立つと思ったんです」
と語る宮嶋さん。
やはり「社会貢献度」が自身の行動の軸になっているようです。
リクルートでは、住宅広告制作やITエンジニア、旅行雑誌(じゃらん)編集者、デスクなどを経験。
非常に忙しい会社で、いくつものタスクを同時進行させる経験を積んだことが、のちのプロデュース力につながっていきました。
同時に、社会人2年目からジャズのビッグバンド活動も始めていました。
学生時代にジャズでつながったメンバーによる社会人16人編成の、「ミギー・オーギュメント」を結成し、宮嶋さんが作曲したオリジナル曲を演奏。
5年目には東京でもっとも人気があるビッグバンドのひとつになっていました。
30歳で脱サラして音楽家として独立
社会貢献意識の高い宮嶋さんですが、会社というのもは利益追求もしていかなくてはなりません。
だんだんと、自分のしたい事と仕事の間に齟齬をきたすようになります。
音楽なら世の中にメッセージとして伝えることができる。あきらかに音楽のほうが、自分の持っているメッセージを伝えられる。
そう悟った宮嶋さんは、2004年、30歳で退職して音楽の道に進みます。
しかし、ビッグバンドの収入だけでは食べて行けず、ピアノや作曲を教えたりビッグバンドを教える仕事をしながら、貯金が減っていくのが不安だったと言います。
38歳で訪れたニューヨークでのVJOとの出会いが転機
2008年2月、ニューヨークを訪れた宮嶋さんは、ニューヨークを代表する老舗ジャズクラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」の公演を鑑賞します。
初めて生で見るヴァンガード・ジャズ・オーケストラのステージにボロ泣きするほど感動し、連日通った宮嶋さん。
毎日最前列で泣きながらメモを取るアジア人女性は目立ったようで、メンバーから声をかけられます。
宮嶋さんがビッグバンドを持っていて作曲もしていると知ったリーダーから、「自分たちは日本に行きたいんだが、つなげられないか?」と相談された宮嶋さん。
そして、ヴァンガード・ジャズ・オーケストラの代理人となって交渉をこなし、2009年12月に「ブルーノート東京」での公演を実現させます。
これはものすごいことですが、宮嶋さんの“ビジネスパーソン”としての能力が役にたったのではないでしょうか。
その後も、「仕事ができる」と思われた宮嶋さんは、ヴァンガード・ジャズ・オーケストラのアルバムに副プロデューサーとして係わり、グラミー賞にノミネート。
こうして、宮嶋さんの現在の活躍につながっていったのです。
宮嶋みぎわの結婚歴はバツ2
こうした宮嶋さんの経歴を見ていると、仕事に邁進しているイメージが強いですが、結婚歴は2回あるようです。
宮嶋さんは、2012年に文化庁の作曲家として奨学金をもらい、1年間ニューヨークに研修留学しますが、その時のことを紹介する、こんな記事がありました。
これは文化庁が出しているあらゆる芸術ジャンルの将来性ある人材を、100人ほど海外で研修させるシステムだ。
それまでに日本で2回の結婚と離婚を経験したみぎわさんだったが、ひとりでニューヨークに乗りこんだ。
引用:New York NICHE
2回の結婚と離婚歴があるということです。
2012年の留学時に宮嶋さんは42歳なので、それまでのことですね。
2人の夫についての情報はありませんが、
- 大学時代の仲間
- リクルート同僚
- ビッグバンド仲間
これらの関係者の可能性が考えられます。
まとめ
この記事では、ジャズ作曲家でプロデューサー、ピアニストの宮嶋みぎわさんについてお伝えしました。
- 音楽大学卒ではない
- 一般企業リクルートに就職後脱サラ
と異色のミュージシャンですが、自分の考えや行動を言語化できる魅力が、音楽にも影響しているように感じました。
これからのますますの活躍を応援しています!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。